京都日記 第1日
第104回 全日本剣道演武大会
京都日記 5月3日(土)
今年の京都は,いろいろと事情があって1泊2日に落ち着いた。 いろいろな事情とは,簡単に言うと仕事である。 連休明けまでに仕上げなくてはならない大きな仕事を1つ抱え込んでおり,もう以前のような『道楽』は許されなくなってしまった。
当日の出発時間を連絡するため,4,5日前に都会の先輩に連絡を入れた。 そのとき先輩が意外なことを聞いてきた。
「自分も防具を持って行った方がええかの?」
京都大会開催中には多くの団体が武道センターや地下の補助競技場で四六時中活発に稽古しており,やろうと思えば好きなだけ稽古できることは事前に伝えておいたのだが,何か心に引っかかることでもあったのだろうか。 それとも何かを決意するための,私への確認だったのだろうか。
6時5分の新幹線に乗るために来女木を出発したのは,まだ夜の明け切らぬ内だった。 家人に広島駅まで送らせ,車を降りた途端いきなりの人の多さに驚いた。 これまでは人出が多くなる前に京都に入っていたので,こんな混雑に巻き込まれることもなかったのだが,やはり3日出発ではこんなにも違うのだろうか。 1番列車ということもあり,余裕で自由席に座れると高を括っていたが,都会の先輩が気を利かして早めに席を取ってくれていなかったら,私たち3人は少なくとも新大阪まで立ち通しになるところだった。
京都駅に着くと,そのままタクシーに乗り換えて御殿荘に入った。 早朝京都に来た理由は,錬士の部に出場する私の試合が39番目と比較的早い時間に予定されていたからである。
宿でコーヒーを飲みながら休憩していると憲ちゃん先輩から連絡が入り,それではと胴着に着替えて武徳殿へと移動することにした。 何も言わなかったが,mini98さんも同じように着替えてくれた。 私が少しでも練習して試合に出られるようにとの配慮からである。 口に出して礼は述べなかったが,心から有り難いと感じた。
武徳殿では既に開会式が始まっており,剣道形の真っ最中であった。 熊本範士が打ち太刀を務められていた。 何度かここで剣道形を見てきたが,それらと比較しても迫真の出来映えであったと感じた。
私の出番までは1時間以上あり,武道センターへ移動して稽古をと思ったが,居合の審査に使用されていたため稽古にはならなかった。 心を落ち着けて出番を待つ。 思えば4月の転勤以来,稽古らしい稽古はできなかった。 もはや技術的に云々のレベルではない。 「今の自分を出し切ろう」そのことだけを考えるようにした。
武徳殿に入り出番を待って座っていると,昨年対戦した大阪のMさんが声をかけてきてくれた。 この方は広島県のご出身で,プレジデント範士の教え子である。 「プレジデント範士と話されましたか?」と聞くと「いえいえ,お姿だけ拝見しました」とのこと。 なぜかプレジデント範士のお弟子さんにはこのタイプの方が多いのだ。
思えば,昨年もその前の年に対戦した方が声をかけてくださったなぁ。 みなさん『礼に始まり礼に終わる』を実践されているなぁ。 自分もそうありたいなぁ,などと考える。
憲ちゃん先輩がビデオ撮影を引き受けてくれた個人試合は,引き分けに終わった。 不完全燃焼の部分もあったが,自分の間合いで面が一本打てたことは収穫だった。
御殿荘に引き上げ着替えを済ませると,もう昼近くになっていた。 事前にプレジデント範士を招いて食事をするように計画していたので,宿の前で先生を待つ。 聖護院の山門を通って「やあ」と手を挙げながら颯爽とプレジデント範士が到着。 予約していた部屋は庭のよく見える個室で,外の喧噪が嘘のようである。 初めは多少緊張していたが,1人ビールが入った私はあれこれと遠慮もなくプレジデント範士に尋ねる。 楽しい時間はあっという間に過ぎていき,範士はまたまた颯爽と武徳殿へと審判に戻られた。
自分の試合が終わったこともあり,昼間からビールを飲み過ぎてしまった私は宿に帰って昼寝。 武徳殿ではやがて個人試合も教士の部へと移り,mini98さん,憲ちゃん先輩の順にビデオ撮影を行う。 途中,度々休憩していた私とは対照的に,都会の先輩はずーっと個人試合を見学されていました。 何か,剣道に対する執着心というものを感じましたね。
近年は御殿荘で夕食を取るようになった。 ここの食事が朝も夜も美味しいというのが理由の一番であるが,年とともに新しい店を開拓する元気が無くなってきているのかも知れない。 ビール,焼酎を大量に買い込み宴会へと突入する。 そのうちに今夜我々と同じ部屋に宿泊するSさんも到着される。
夕食のあともあれこれと話は尽きない。 個人試合のビデオを観ながら,都会の先輩の詳細な解説が入る。 ビデオは見えるところしか写せないが,先輩の目は試合者の心を観て解説されていた。 実際の試合とビデオでは印象が違うことがよくあるのは,そんなことが関係しているのだろう。
京都日記 第2日
京都日記 5月4日(日)
久しぶりによく飲んで,そしてよく眠れた。 朝稽古のためにごそごそ起き出す。 それにしても朝から京都は暑い。 今年こそ半袖を用意して来なかったが,例年は京都大会から半袖を着るようにしているくらいである。
武道センターに到着してみると,芋の子を洗うが如くの人人人である。 どうやら少し出遅れてしまったらしい。 入口の反対側に陣取り,場所を見つけて面を置く。 春霜会の4人は,それぞれが全くの単独行動。 稽古とは極めて個人的な行為なのである。
まずは警視庁の西川清紀先生にお願いする。 面の切れ味が鋭い。 というか,こちらの想像力を超えたところの剣道がそこにある感じだ。
その後は,並んでいる人数の少ないところをねらって稽古をお願いする。 やはり相性というものがあるようで,気持ちよく稽古させていただいた先生となぜだか稽古がかみ合わない先生もいる。 もちろん打った打たれたとも違う,上手く表現できないがやはり相性なのであろう。 しかしこちらは8段を選んでお願いするが,基立ちは相手を選べない。 その点はご苦労も多いことだろう。 そう考えるとやはりどの先生にも精一杯掛かっていくことが私たち掛かり手の責任のようにも思う。
御殿荘へ戻り一風呂浴びたあと,朝から豪勢な食事を頂く。 やはりここのメシは美味いと確信。 余談だが,今年から基本の宿泊料金に朝食が含まれるようになった。 その方がすっきりしてこちらとしても有り難い。
部屋で休む間もなく同宿のS先生と,そのお仲間の方々を昨夜の約束通りビデオで撮影。 これで今年の京都も終わりである。
昼食は,気合い十分で予約しておいた鶏料理の店で鶏のすき焼きを食べる。 美味いのは美味かったのだが,如何せん値段もとても上等でちょっとびっくりする。 やはり私にはB級グルメがお似合いなのである。 もちろん京都には安くて美味い店も沢山あるので,来年はその線で行こうと思う。
春霜会へのお土産に手拭いを買い,春風館の子どもたちには八つ橋を買った。 3人でタクシーに乗り京都駅へと向かう。 京都駅で都会の先輩がビールや日本酒,それにおつまみまで買い込んでくれて,列車内はまたまたミニ宴会場と化す。
都会の先輩がしみじみと「春霜会の設立は,大きな意味があったなあ」と呟かれた。 全くその通りであるが,どう言ってよいやら分からずに黙り込んでしまう。 人間あまりにも肯定する意識の強いときには,思わず言葉を呑み込んでしまうものなのかも知れない。
私は,私を育ててくれた京都大会に一緒に来てくれた都会の先輩とmini98さんに,お礼の意味を込めて生八つ橋のお土産を渡した。 自分が価値あるものと判断した京都大会に共感してくれたことへのお礼である。
その反面で,もう京都大会こそが全てとも思わなくなってきた。 その価値の分かる人だけに参加して欲しいと,そう思うようになった。
善光寺参り 投稿者:都会の先輩
「牛に引かれて善光寺参り」 事務局長さんのことを牛扱いしてごめんなさい。2回の勝浦研修会、そして今回の京都。いつも引っ張ってくれたのは事務局長さんでした。そしてお寺参りの後に残ったのは、確かに剣道を続けていける勇気です。持つべきは「師」と「後輩」ですね。それぞれ違う職場で、それぞれの悩みを抱えながら、同じスタートラインを持つ剣道仲間として、今の此処を確認する二日間でした。本当にお世話になりました。
都会の先輩へ
京都大会お疲れ様でした。 また個人試合での絶大なる(笑)応援ありがとうございました。
御殿荘での反省会で,私の面(一部のマニアの間では「がぶり寄り面」とか「重戦車面」とか言われております)がどのように放たれたかについて,私自身が気付かなかったところまで詳細に分析していただきたいへん勉強になりました。
あとでビデオで見るとまったく言われた通りの動きがそこにあり,ビデオ以上に核心を照らす「観の目」に驚いた次第です。
今回の京都大会は,お陰様で私にとってもたいへんエキサイティングなものとなりました。 都会の先輩や憲ちゃん先輩,mini98さんのおかげと感謝する次第であります。
機会がありましたら,また是非ご一緒しましょう。 (安くておいしい店も探しておきま〜す!)
一隅を照らす U 投稿者:プレジデントもどきF
七泊八日の京都が過ぎ去り、平常の生活に戻りました。緊張の中で安らぎの楽しいひと時をありがとうございました。
自分の今の存在を見つめる時、常にその原点に想いが到ります。大きくなればなるほど一滴の原点が光り輝き始めます。来女木グループの中に浸った次の日の朝稽古で、私も五島グループの後輩(静岡)と久しぶりに剣を交えることができましたし、先輩の見事な立会いを面越しに拝見しながら(この先輩は昨日範士を授称されました)師匠からの絆を武徳殿の中で感じることができ、改めて偉大さを実感することができました。
片田舎の一人の男が種を蒔かねばこの現実はありえません。
「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだなァ」
見えない根の存在をしっかり受け止めるためにも自分自身が、一隅を照らすことのできる生き方をしていきたいと思っています。そんなことを考えさせられた昼食会でした。
(事務局長)
京都ではお忙しいなか貴重なお話をありがとうございました。
あとで宿に帰ってから話すのに,私たちは違った時期にそれぞれが別々に先生にお世話になっていたことに気付きました。
もしそこに「来女木グループ」としての共通の何かを感じとっていただけることがあったなら,それこそが恩師の教えてくれた何かではないかと思うのです。
先生のお話によって,恩師のありがたみを改めて振り返る京都大会となりました。 |
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