「吉岡のおじちゃんのこと」
 剣道を始めたのは小学校3年生のときだった。
次の年の甲田大会が,私の初めての試合だった。
今とは違って,当時は体育館横の武道場で試合が開催されており,場外反則の規定があったのかどうかさえ思い出すことはできないが,相手を壁際まで追い詰めて思い切って放った面に,思いもかけずサッと旗が上がった。

私は生まれて初めて一本を取ったのである。

その試合会場から私達を連れて帰ってくれたのが,吉岡のおじちゃんだった。
一緒に乗り合わせたI崎猛先輩に向けて「I崎君は,あの攻めを,よー凌いだよのー。」と車内は試合の話で盛り上がっていた。
まだ剣道を始めて間もない私には,その話題のすべてを理解することはできなかったが,強豪に対して一歩も引けを取らなかった先輩の戦い振りを褒めておられたのだと思う。


 日吉神社で年に一回行われる神楽を観に行ったとき,おじちゃんは息子である吉岡主税先輩の話をよくしてくれた。
「えーか,さっちゃん,県総体でのー,団体と個人で両方とも優勝するのは至難の業でー。どうしても1日目の団体戦で力を使い果たしてしまうけーのー。」と,おそらくは先輩と話されたであろうことを,教員になりたてだった私に語ってくれた。
もう二十年近くも前のことなので書いても許してもらえると思うが,当時まだ若く,海田地区でバリバリ生徒を鍛えていた先輩のことを「生徒と一緒に高校へ上がって,F原先生と勝負したいと言いよーるで。」とこっそり教えて下さったのも,あの神楽囃子を聞きながらであった。


 昨年東城で開催された県総体では吉岡先輩と同宿だった。
先輩は剣道のことは勿論,田舎へ帰って手伝う農業に対する思いや,これからの自分の生き方のことなどを話された。
親への愛情に溢れた,よい話だった。

翌日大会が終了し,ちょうどその日来広されていたS藤先生の指導を受けたいと急いで会場を後にした先輩と別れ,何年か振りに日吉神社を訪れた。
そこには吉岡のおじちゃんの姿があった。
吉岡先輩にはいつもお世話になっています,と感謝の言葉を申し上げ,ついさっきまで一緒だったのですよとお伝えした。
いすに座って,のんびりと神楽を眺めておられた姿が,今も脳裡に焼き付いている。



 おじちゃん,
 おじちゃん達が来女木剣道スポーツ少年団を創ってくれたおかげで,いまこうして剣道を続けられています。
 親になってみて分かることや,指導者になってみて初めて気付くことはたくさんありますが,おじちゃんの熱い思いを受け継いで,これからも頑張っていきます。



吉岡のおじちゃん,ありがとう。さようなら。

(2006/1/18)
 事務局長のつぶやき
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